PLAYロゴの作者、フィリップ・パゴウスキ

こんばんは〜

コムデギャルソン (COMME des GARCONS) のPLAYのラインのハートのキャラクター、ご存知でしょうか?

 

 

一度見たら忘れられませんよね!

このキャラクターは有名ですが、作者のフィリップ・パゴウスキ (Filip Pagowski) については意外と知られていない気がするので、

今回は彼のインタビューを引っ張ってきました…!

あくまでざっくり翻訳なので、詳しく知りたい方は、元記事を見ていただければ。

長文ですが、そこそこ貴重なはずですよ…!!

以下です〜

 

 

 

 

Q: コムデギャルソンプレイとの関係は、どのようにして始まったのですか?

あなたは川久保玲の元で働く前に、彼女の仕事に精通していたんですか?

また、目のついたハートのキャラクターはどのように生まれたのでしょう?

 

 

フィリップ・パゴウスキ:

あのハートのキャラクターはPLAYのラインとは関係なく作ったのだけれど、ほとんど同時にできたと言えるんです。

私たち二人がまるで、互いの仕事によって互いに潜在的な影響を受けあったかのようでした。

最初は、コムデギャルソンの別のプロジェクトのために提出しました。そのプロジェクトは結局実現しなかったのだけれど。

最終的にはもっと大きな波(つまりプレイのラインのためのロゴとして)として再び浮上することになりました。

実はそれまでにすでに、私はコムデギャルソンのために2年半くらい継続的に仕事をしていたんです。

もちろん玲の仕事には精通していたし、80年代前半にコムデギャルソンを発見して以来、ずっとファンでしたよ。

 

私はコムデギャルソンとは長く、自発的な関係を持っていました。

全ては80年代初めに始まりました。後に私の妻となるDovannaはファッションモデルだったのですが、コムデギャルソンのパリでのショーを始めたところでした。

その当時は、私たちは友人である彫刻家のDaniel Wnukと一緒にNYのクラブ、ダンステリアでパフォーマンス・ファッションショーを作っていたところだったんです。そこでなんと、Dovannaはセメントのドレスを着ていたんです!

そのイベントの写真を川久保玲に送ったところ、返事が来ました。

 

その後Dovannaを通して、私はコムデギャルソンの運営責任者にアメリカで会い、NYのショールームで行うコムデギャルソンのメンズコレクションに、モデルとして何度か起用されることになりました。

1992年に私は東京へ旅行し、そこで何人かコムデギャルソンの人々に会ったんです。彼らはとても寛大で、東京でコムデギャルソンやヨウジヤマモト (Yohji Yamamoto) のショーを見せてくれましたよ。

その夏に、パリで行われるコムデギャルソンのショーモデルとして参加するようにとの申し出を受けました。

私はこのショーでの非モデルたちの一人でした。

Lyle Lovett、John Hurt、Ossie Clark、Brice Marden、Jon Hasellらといった人々も混じっていました。

彼らはみんな成功して、さらには有名なアーティスト、俳優、デザイナー、ミュージシャンです。

 

そして1999年に、コムデギャルソンと私とのコラボレーションが起こりました。

何が可笑しいって、川久保玲は私が以前からコムデギャルソンと仕事をしていたことに気づかなかったということ。

彼女は私の作品を「発見」して、幾つかの社会的なつながり抜きで、私を使いたがったんです。

PLAYのロゴはこんな風にしてできました!

何の関係もなく突然に、この両目のついた赤いハートのアイデアを思いついたのを覚えています。

私はすぐに描いて、それが最初の設計図となりました。

あとの話は知っての通りです。

 

 

 

—END—

 

 

 

 

 

 

 

 

どうでもいい話なんですが、日本語になおす時に、

一人称(私?俺?)と語尾(ですます?〜だぜ?)で地味に迷います。

実際にお会いできればまた違うんでしょうけども…!

日本語のニュアンス、難しいです…

 

 

 

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